世界的に活躍している音楽家「世界のサカモト」こと 坂本龍一さんが「関ジャム 完全燃SHOW」に登場します。
そんなわけで、知的なイケおじ 坂本龍一さんを色々調べてみました!
イケおじ 坂本龍一さんのプロフィール
◆生年月日:1952年1月17日(2023年3月28日逝去 享年71歳)
◆出身:東京都
◆身長:171cm
◆血液型:B型
◆学歴:東京芸術大学大学院卒
◆音楽家
◆愛称:教授
1978年『千のナイフ』でソロデビュー。同年『YELLOW MAGIC ORCHESTRA (YMO)』を結成しリーダーとして活躍していました。
カンヌ映画祭にも出品された『戦場のメリークリスマス』では、映画で使われている曲すべてを坂本龍一さんが作曲しており、英国アカデミー賞作曲賞を受賞しました。
その他には、ラストエンペラーアカデミー賞作曲賞・ゴールデングローブ賞・グラミー賞などを受賞しています。
解散後主にピアノを通じた作曲活動や作詞活動音楽プロデューサーなど、今なお活躍されています。
因みに、教授という愛称は東京芸術大学大学院在学中にスタジオミュージシャンとして活動を始めたことから、こう呼ばれるようになったとか。
坂本龍一さんのプライベートは?
プライベートでは2度の結婚・離婚歴があり、子供は4人、孫(坂本美雨さんのお子さん)が1人います。
東京芸術大学在学中に一般人の女性と学生結婚し、長女が誕生。婚姻期間であった1980年に矢野顕子さんとの間に坂本美雨さんが誕生しています。
その後、最初の妻との離婚が成立し、1982年に矢野顕子さんと再婚しました。矢野顕子さんには連れ子の息子がおり、婚姻時に養子縁組をしているようです。
そしてその後、矢野顕子さんとの婚姻期間にマネージャーの女性と暮らしはじめ、矢野顕子さんとは2006年に正式に離婚しました。女性との間には1990年に息子が誕生していますが、入籍はしていないようです。
“恋多き芸術家“とも言われたりしますが、坂本龍一さんも多彩な恋愛遍歴をお持ちのようで、これらの経験も曲作りに活かされているのでしょうか。
色々な経験を経ながらあのような素晴らしい曲を作られているのですから、なんだか納得がいきますね。
現在の病状は?
2023年3月28日にご逝去されました。そんな坂本龍一さんは2014年6月62歳のときに中咽頭がんを患い、2020年6月には直腸がんであることが判明しました。進行度はステージ4になり「もう演奏する体力がなく最後のコンサートになるであろう」とのコメントを残しています。
ニューヨークで手術を行い現在も闘病中ですが、無観客のピアノ・ソロ・コンサートを、日本や欧米、アジアなどの国や地域に配信するなど勢力的に活動されています。
坂本龍一さんの今後は?
以前、長く住む米国ニューヨークから京都市内に移住しようと計画していたことを京都新聞社の取材で答えています。
場所は、映画「戦場のメリークリスマス」で共演した、故デビット・ボウイ氏ゆかりの邸宅があった九条山(山科区)という場所で、2013年に土地を購入しましたが翌年がんと診断されて売却しています。
ですが、その後も「いつか京都移住を」と、この先ゆっくりと過ごす場所を京都と考えておられるようです。
坂本龍一さんの京都への思い入れは強いようですね。
そんな坂本龍一さんが「関ジャム 完全燃SHOW」に出演
音楽のプロたちからのアンケート用紙15枚もの質問に坂本龍一さん自らが回答!
本人の証言から名曲の裏側やプライベートな質問まで、坂本龍一さん好きにはたまらない内容となっています。
まとめ
今回、坂本龍一さんについてまとめてみましたが、闘病中であるという事で体調面がとても心配になります。。
坂本龍一さんの曲が大好きな私は、これからもたくさん素晴らしい曲を聴かせてほしいと思っています。
闘病生活はとてもお辛いと思いますが、子供や孫たちのためにも、そして坂本龍一さんの音楽を心待ちにしている世界中のファンの方々のためにも、元気に活動できる時間が少しでも長く続くことを祈っております
坂本龍一さん、ご逝去。
坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日ご逝去されました。享年71歳。葬儀は近親者で行われたそうです。
悲報を受け、国内外の沢山の方々がコメントを出しておりますので、一部を紹介いたします。
◆韓国の人気グループ「BTS」のメンバー、SUGAさん
「先生、遠い旅が安らかでありますように。R.I.P SAKAMOTO RYUICHI」
◆坂本さんと交流のあったシンガー・ソングライターの佐野元春さん
「坂本さんの精神性に多くの表現者が刺激されました。自分もその一人です。感謝とともに、深く哀悼の意を表します」
◆脚本家の北川悦吏子さん
「私の映画の音楽をやっていただきました。打ち上げのお食事会の時、とても紳士で優しく、気さな方でした。忘れないでいます。その時、私におっしゃってくださった言葉。音楽と共に。坂本さん(高橋)幸宏さんも、お会いして飲んだけれど、本当にふたりとも全くえらぶらないで気さくで、笑ってそして、天才なのだ。戦場のメリークリスマスで、YMOなんだ。バグる。そして、もう、いない。涙。私は、その音楽と、その人自身に、めぐり逢(あ)えて幸運でした。お疲れ様でした。天国でゆっくり」
◆ロックバンド、RADWIMPSの野田洋次郎さん
「2度だけお話させて頂くことがありました。優しい語り口を今も思い出します。たくさんの美しく偉大な音楽をこれからも聴き続けます」
◆大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」(83年)の共演など、坂本さんと親交のあったタレントのビートたけし(76)
「只々ショックで残念で仕方がなく言葉もありません。戦場のメリークリスマスの監督、大島渚監が亡くなってデヴィッド・ボウイが亡くなって、坂本龍一さんが亡くなって仲間がみんないなくなってしまい戦場のメリークリスマスは俺だけになってしまいました。」
このほか、小室哲哉さん(音楽プロデューサー)、山口一郎さん(サカナクション、ボーカル)や、沖祐市さん(東京スカパラダイスオーケストラ、キーボーディスト)、角野隼斗さん(ピアニスト)、LEOさん(箏奏者)、のんさん(女優)、湯川れい子さん(音楽評論家)らも追悼のメッセージを発信しました。
また。坂本龍一さんが手がけた最後の作曲作品が、19年ぶりの新規高専として2日に開校した私立「神山まるごと高等専門学校」(徳島県神山町)の校歌だったことが分かりました。
闘病中に手がけていましたので未完成ですが、同校は「校歌の完成に向けて坂本さんの事務所と相談しながら進めたい」としています。
坂本龍一さん、今までたくさんの素敵な音楽をありがとうございました。
どうぞ安らかにお眠りください。。。
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